もっとKazupedia! 〜大学のみんなが知らないカズがここに〜

千葉南高校の同期、斉藤光将(さいとう みつまさ)さんからのネタ。(原文)

※大学のみんなが知らないカズナリがここに!

<基本情報>

◎生年月日   

 →昭和49115日生まれ A型 独身

◎身長

 →自称171㎝位(本当は170㎝も微妙である)

◎体重

 →自称90㌔位。(高校時代7072㌔)

◎あだ名

 →一成、かんなり、かんちゃん、運び屋かんちゃん、運び屋、ゴリラ、ゴリポン、ゴリなり、かずしげ

◎性格

 →温厚 仲間思い 褒めるとすぐ調子に乗る 女性には奥手 腹が減ると機嫌が悪い。

◎趣味

 →スキー、ゴルフ、自転車、トライアスロン

◎彼女歴

 →高校時代、知る限りでは一人

◎家族構成

 →父(茂) 母( ) 妹(教子) 弟(公大)

 →両親はプリンス靴店を有秋プラザと袖ケ浦に2店舗経営

 →妹 教子は高校の後輩であり高校の同級生と結婚した。

 →弟 公大は高校時陸上部に所属しており、兄に似ず足が速かったらしい。当然痩せている

        

◎経歴

1974年(昭和49年) 鈴木家の長男として市原で生まれる

1977年(昭和52年) ふじ幼稚園に通う

1980年(昭和55年) 有秋西小学校入学

 →この頃からかんなりと呼ばれる

1983年(昭和58年)有秋南小学校が開設され転入する

 →有秋イーグルスに所属、サードで5

1986年(昭和61年)市原市立有秋中学入学

 →野球部に所属、ライトで8番だった気がする。

1989年(平成元年)千葉県立千葉南高校入学

 →ラグビー部に所属、副キャプテン ポジションはフッカー

 →3年時、赤組応援団長を務める

 →文化祭の投票で、なぜかミスター体育会系1位になるが足は遅い。

1994年(平成5年) 一浪し専修大学入学

 →専修大学ラグビー愛好会所属

 →(ここのネタは省略)

 →向ケ丘遊園に一人暮らしを始める。

 →高校ラグビー部の仲間は合コンや海でナンパに明け暮れるが一成 はラグビーに明け暮れる

 →3年冬からスキーを始める

 →一成の家に遊びに行って麻婆なすご馳走になり、次の日お腹を下 した奴がいる

 →卒業旅行でアメリカ ロスに行く

1998年(平成9年) 株式会社 翼システムに入社

 →名古屋での研修へて 茨城のつくばに配属

 →つくばのキャバクラにハマり、ここで宴会芸を磨く

 →趣味の自転車を始める。

 →上司と折り合いが合わず、念願の千葉支店に異動となる。

 →千葉支店の所長になる。

 →会社の結婚式の余興で、つくばで磨いた宴会芸を部下に強要する

 →東京支店に異動となる。

      

<エピソード(内輪ネタなど)>

・カバンからノラ猫ネタ

部室の前に、汚いノラ猫が住み着いていた。ノラ猫は毛も所々抜け落ち病気を持っていた。当時ラグビー部の間でそのノラ猫をカバンの中に仕掛けるイタズラが流行っていた。部活が終わり部室に戻ると自分のカバンがゴソゴソと動き、ニャーと鳴き声が聞こえるイタズラである。当然一成も餌食になる。

 

・一成、顧問の慰めるネタ

3年時顧問が新任に変わる。その新任顧問になった瞬間、それまでの顧問のおかげで学校内では何をやっても許されていたラグビー部への風当たりが非常に厳しくなっていった。それが不満だったキャプテンはその新任顧問を無視して泣かせていた。その顧問を慰めていたのが一成だった。一成は副キャプテンとして、キャプテンと顧問の間に入り意見の調整していた。

 

・うんこネタ

練習前、ラグビー部の仲間でネコのうんこの前にわざとバトミントンの羽を置き、一成に取るようにお願いした。何も知らない一成は、その作戦に見事にはまり、うんこを踏みながら羽を取ってしまう。

その瞬間、本人は怒るが、仲間からは大爆笑となる。

当然、練習が始まりしばらく機嫌が直らなかった。

練習後にうんこ付きのサンダルを洗うため、誰にもばれないように部室からサンダルを隠しながら出ていくが見つかる。わざとらしい鼻歌を歌っていたためである。

 

・車内で相撲ネタ

その日、部活で遅くなった一成たちは帰りの電車内で一人の酔っ払いのオヤジと遭遇する。そのオヤジは一成達に絡んできた。最近の若い者は元気がないと説教し出したのだ。迷惑そうに聞いていると段々エスカレートして、俺と相撲で勝負しろ、勝ったら小遣いをやるぞと言いだした。車内で相撲なんて話を見たことも聞いたこともなく、恥ずかしすぎて小遣いはいらないので当然を拒否した。しかし電車内はそこそこいた乗客が、そのやり取りを聞いていたのか、関わりたくないのか微妙に車内中央を開け始める。

いつの間にか車内中央が自然と立派な土俵になってしまったのである。

一成たちも、とうとうオヤジの勢いに負け、相撲を取ることになる。

やってみると予想通りオヤジは弱い。

しかも、簡単に負けるのが悔しいのか、まだまだと言って何度も何度も立ち向かってくる。

ようやく最寄りの駅に降りること口実にやめることはできた。

オヤジは、今回は俺の負けだ、おまえらなかなかやるな、これでラーメンでもくって帰れと言って、胸ポケットからその日出たばかりの給料袋から一万円を取りだし約束の小遣いを渡す。一成たちは恥ずかしさの代償で得た一万円を山分けする。

 

・電車のドアに首挟まるネタ

高校時代、彼がJR蘇我駅から電車で最寄りのJR姉崎まで帰宅途中。当時仲間内で、ふざけて電車が発車する間際にホームに落そうとする遊びで流行っていた。この悪ふざけは仲間が警戒していない時にタイミングよくやるのがコツでビビらすだけで決して落すのが目的ではなかった。その日体調が悪かった一成は 仲間の一人に今日はその遊びに参加しないと先に言っていた。しかし、運わるく他の仲間の一人に彼の言うことを聞いていない奴がいた。その話を聞いていない仲間は完全にそのタイミングを狙っていた。一成は無防備状態、その仲間は完全なまでのタイミングで、電車のドアが閉まると同時に一成を突き飛ばした。すると、プッシュウという電車のドアが閉まる音と同時に、一成の首~顔面にかけてスローモーションで電車のドアに挟まれていく。そしてその時の必死の形相はいまでも忘れない。

 

・電車の中のゲロの上に平気で立っているネタ

日頃、我々仲間はなぜか電車のドア側、特にドア側の両端の手すりに寄り掛かるのが当時のステイタスだった。当然電車に乗ると同時に毎日、仲間同士でポジションの取り合いをしていた。

その日は珍しく夕方の電車が混んでいた。いつものように、JR蘇我駅から電車に乗り込む。乗り込んだ瞬間、我々仲間は何とも言えない臭いをキャッチしていた。正確に言うと一成以外の車内の乗客は、どこに何があるかすぐさまキャッチしていた。

その正体はゲロだった。

しかも我々が愛してやまないドア側の端の手すりから勢いよくぶちまかれていた。当然電車内はそれを囲むように半径1メートルは解り易く開いていた。

しかし、なぜかそれに気づかず一成は平気でゲロのかかった手すりに寄り掛かる。我々仲間は誰しも目を疑い、乗客も目を疑った。だが、ベスポジに立った一成の表情は何故だか勝ち誇っていた。むしろ我々に挑戦的な態度すら取っていた。

当然そんな一成に対して車内の乗客も完全にドン引きだった。

車内の空気を察した我々は自分たちが下りる駅までは必死に友達じゃないふりをした。そんな仲間はJR五井駅まで全員下りてしまう。その先一区間~姉崎までは一成が一人になる。そして可哀そうなので五井駅をおりる間際、そのゲロのこと伝える。

一成は学ランについたゲロを必死にふき取りながら、あまりに恥ずかしすぎたのか、我々仲間に対して必死に怒っていた。

後日聞くと、この一区間は今まで一番長い一区間だったそうだ。

 

・あだ名の由来、エピソード

かんなりは小学校の頃から使われており、かずなりから、かんずなりになり最後に「かんなり」になったらしい。

このあだ名が最もメジャーで高校時代も主流である。高校同級生ほとんど使っており、後輩のほとんどはかんなり先輩だった。

それが短くなり、いつしか「かんちゃん」になる。

部活中、みんな一成にあれ取って、これ運んでと頼んでいた。そして運ぶ度に、さすが一成と言い最大級に褒めていた。これに気を良くして調子に乗った一成は自ら何でも俺に言ってくれ、俺は運び屋かんちゃんだよーと意味不明なこと言いだしたことから、「運び屋かんちゃん」呼ばれるようになる。

それが短くなり「運び屋」となる。

風貌から着いた思われがちだが、部活中、ふざけて走っている時はいつもウホウホ言いながら走っていたことがきっかけで「ゴリラ」となる。

その発展系で「ゴリポン」、「ゴリなり」となる。

高校の授業中、ぼけた先生から“かずしげ”と呼ばれる。それが採用され「かずしげ」となる。

 

Written by mitsumasa